昭和44年卒・小林邦威さん経営のネットビジネス"世界の花屋"がNHKで6/7木 22:45~放映されました

昭和44年卒・小林邦威さんとその子息の経営するネットビジネス ”世界の花屋” が、NHK 6月7日(木)、夜10:45〜”世界はほしいモノにあふれてる「カラフル!名もなき幻のバラ ロンドン&ケニア」”で放映されます。

世界の珍しい花を輸入デリバリーするということに止まらず、世界の後進国における雇用を促進するという側面にも注目して活躍しています。

株式会社グリーンパックス 代表取締役社長

小林邦威

 

株式会社グリーンパックス

世界の花屋

『財界』2018年1月30日号に「ソフトテニスをめぐる《ゆかいな仲間》」が掲載されました

『早慶軟庭球友会』

回顧 1959年8月2日(日) 会津若松市

「昭和34年文部大臣杯 軟式庭球全日本大学対抗選手権大会決勝戦」

一次戦
早稲田大学 3 1 慶應義塾大学
斉藤・太田 5  -  0 村井・水内
城・小久江 5  -  0 西村・糸川
有馬・内山 4  -  5 岡井・古山
二次戦
斉藤・太田 5  -  0 岡井・古山

 


2017年11月11日(土) 慶應義塾大学ソフトテニス部下田テニスコート 撮影:愛甲武司

1列目 左から右へ
慶應   村井靖(S36、元三田ソフトテニス倶楽部理事長、ゼネラル石油)
早稲田  有馬一三(S35、元監督、アサヒ真珠)
慶應   糸川雅也(S36、元監督、クボタ)
早稲田  城賢三(S35、朝日火災海上保険)
慶應   西村信寛(S36、前日本ソフトテニス連盟副会長、朝日生命)
早稲田  斉藤弘(S35、元稲門軟式庭球倶楽部理事長、ゼネラル石油)
慶應   水内毅(S36、日本石油化学)

2列目
慶應   三戸節雄(S34、経済ジャーナリスト)
早稲田  中山晴之(S40、現稲門軟式庭球  倶楽部会長、元監督、朝日生命)
早稲田  宮﨑正己部長(早稲田大学人間科学部教授)
慶應   澤田達男部長(慶應義塾大学理工学部教授)
早稲田  野口洋(S39、元稲門軟式庭球倶楽部副会長、元監督、アサヒ真珠)
慶應   古山宏(S37、三越)
慶應   岡井政義(S37,東燃ゼネラル石油)

3列目
早稲田  因京将(2年生)
慶應   大久保勉(S43、前三田ソフトテニス倶楽部会長、東京海上火災保険)
慶應   赤井宏司(S55、前総監督、現株式会社SEC)
慶應   玉木進(S48、現日本ソフトテニス連盟国際委員、伊藤忠商事)
慶應   松野翔(4年生)
慶應   芳村玲(主将4年生)

「S35、企業名」 は 「昭和35年3月卒業、最終所属企業」

勝戦に圧勝した早稲田チームも試合前には極度の緊張を強いられた。格上チームを下して破竹の勢いの慶應(2年・3年チーム)を直視した早稲田(4年生主体)の城、斉藤、有馬3選手は「やられるかもしれない」と警戒心を強めた。「油断」を絶った「王者」に敵はなかった。監督15年を務めた糸川選手が「早稲田は一枚上手だった」と称える。「グッド・ルーザー」(good loser立派な敗者)である。
前衛・後衛の分業体制で「匠のテニス」を目指し切磋琢磨した選手たちはサラリーマンとして20世紀、日本の高度成長経済を担って奮闘。下級生の岡井選手は経営トップとして21世紀も活躍した。それにしても「早慶戦」を巡る侃々諤々はなぜか。格別な存在なのだ。
慶應義塾の福澤諭吉(1835〜19001)と早稲田の大隈重信(1838〜1922)。二人の大学創立者は良きライバルとして切磋琢磨し、厚い友情を築き困難に立ち向かった。近代日本を切り開いたキーワード、英語の「COMPETITION」を「競争」と日本語に訳した福澤が自らその意味を問うた相手こそ大隈であった。その真の意味を後輩たちは「早慶戦」を通じて連綿と実証し続けているわけである。
青少年時代に福澤先生から親しく薫陶を受けた小泉信三(元塾長1888〜1966)も慶應義塾の軟式庭球・代表選手として早慶戦を戦った。圧巻『日本のテニス』を著した早稲田の針重敬喜(1885〜1952)は早慶戦で小泉選手に敗れたが、「小泉の剛球」を称えた。
慶應の西村選手は「日韓台のアジア選手権大会」で日本代表に選ばれ実力を高め、日本オリジナルの「匠のテニス」を極めた。後年(1993年)、自らがリーダーとして伝統ある「軟式庭球」を創造的に破壊する役割を演ずるとは想像もしなかったであろう。
「軟式庭球の前衛・後衛の垣根を超えて、オールラウンド・プレーヤーが躍動するソフトテニス」への一大転換を成就。根強い反対もあったが、早稲田大学軟式庭球部OBの林敏弘元日本ソフトテニス連盟会長(早大名誉教授、故人)と共に、豊かな構想力をもって説得した。あの「日韓台3国の軟式庭球」から21世紀の今、「加盟国40を数えるソフトテニス」の時代へ飛翔しつつある。(三戸節雄)

「2016希望郷いわて国体」のソフトテニス競技に熊林映実(平成28年卒)さんが出場

第71回国民体育大会に熊林映実さんが出場しました  2016/10

10月1日~10月11日にかけて岩手県で開催された第71回国民体育大会 「2016希望郷いわて国体」のソフトテニス競技に熊林映実(平成28年卒)さんが 岩手県代表として出場しました。
(北上市和賀川グリーンパークテニスコートにて)

1回戦
岩手 伊東・熊林 4  -  0 杉本・福岡 岡山
  高橋 1  -  4 大庭  
  冨土原・菊地 4  -  1 多胡・江國  
2回戦
岩手 伊東・熊林 4  -  3 小林・星山 埼玉
  高橋 4   2 前田  
  冨土原・菊地 4   2 小野・三浦  
3回戦
岩手 伊東・熊林 1  -  4 小林・星山 兵庫
  高橋 1   4    


1回戦・2回戦勝利し、3回戦にて優勝した兵庫県に敗れ、準々決勝進出とはならず 岩手県は16位

女子順位 1.兵庫 2.福島 3.東京 4.愛知 5.岐阜 6.千葉 7.京都 8.北海道

 


TEAM 岩手

伊東・熊林ペア

 

インドネシアのソフトテニス/昭和38年卒業・武井 紀明

インドネシアのソフトテニス/昭和38年卒業・武井 紀明

第15回世界ソフトテニス選手権大会について

国際ソフトテニス連盟副会長
日本ソフトテニス連盟副会長
西村信寛

2015年11月17日から21日までインド・ニューデリーで第15回世界ソフトテニス選手権大会が開催され私も上記の立場で参加した。これまでの世界選手権大会はいずれも日・韓・台の三連盟が主管して行われてきたが(ハワイで開催されたこともあるが日本の主管大会として行われた。)今回初めて他連盟主管により開催されたことは今後の国際普及のうえで意義があったと考えているが、一方で大会運営の不手際のため毎日夜間照明を使用して9時、10時まで日程が長引いたり、不慣れな審判員によるトラブルが発生したりで選手団としては大変苦労の多い大会となった。また今回は大会開催地がぎりぎりまで決まらず当年になってようやく要項が加盟国に通知されたため当初参加を申し出た国が少なく日・韓・台などの呼びかけで前大会を大きく下回ったものの何とか26か国・地域が参加した。ちなみに参加国はアルファベット順にブラジル、カンボジア、カナダ、中国、中華台北、チェコ、北朝鮮、ドイツ、イギリス、ハンガリー、インド、インドネシア、日本、カザフスタン、韓国、ラオス、マレーシア、モンゴル、ネパール、パキスタン、フィリピン、ポーランド、ロシア、タイランド、USA、ヴェトナムであった。
 大会要項により日本選手団は男女とも6名の選手をフルエントリーしたがうち男子5名、女子4名が早稲田大学の現役と卒業生が占めた。早稲田大学は先のインカレでも男女団体戦、個人戦ダブルス、シングルス全6種目を完全制覇する歴史的な快挙を成し遂げており、まさに早稲田一色の年であったように思える。
世界選手権大会は男女団体戦(ダブルス、シングルス、ダブルスの3対戦方式)、男女ダブルス、シングルスおよびミックスダブルスの7種目が行われる。日本選手団の戦績は男子団体戦・金、女子団体戦・銀、男子ダブルス・銅2、女子ダブルス・銀1銅1であったが、一方韓国は7種目中6種目の金を独占し、日本との力の差を見せつけられた。私の見る眼では技術的なものではなく体力と気力に差があるように思われた。日韓の強化システム(日本は所属団体が優先、韓国は少数精鋭による徹底強化)に違いはあるが、これまでも同じ条件の中で韓国や中華台北と互角に渡り合ってきており、強化システムの違いを乗り越えて世界一を目指してもらいたい。(2015.12.4記)

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昭和46年卒・川越宏樹さんの投稿が朝日新聞2015年4月23日版「学びを語る」コーナーに掲載されました

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